日本の教育には

市井の人も同じような問いの前に立たされているように思われます。
プラトンの対話篇 のギリシア語は日常語で語られていると言われます。

この書店そこそこ大きいのだが、岩波の本が1冊も無い。
書店・本屋さんに依っては出版社ごとに得手不得手があって、大きな出版社でも取扱いが無い店がたまにある。
で、ここは岩波書店の本が無いのでそれ以外の本を新書と文庫を中心に立読みし物色。
「ルポ 生活保護」なんて新書版が目に止まったが、それ以外は対して収穫なし。

ヤオラ、帰るべと思ったら店の外が大雨で横殴りに雨が降っている。
道行く人々は傘を指し、或いは急ぎ足で通り過ぎているではないか!
コリャダメだ!と、Uターンして本屋の中で新刊のコーナーで一頻り雨が通り過ぎるのを待つこと僅かで案の定、雨は上がって燦々と陽が注いでいる。
アリストテレスのような難しい言葉は使いません。
『パイドン』で哲学は死の訓練と言っていますが、これ は自殺を勧めるようですが、生きる意味を生死のギリギリのところまで考えるということではないかと思われます。日本の教育には、実習に行って感じたのはハ ウツーの技術論はあっても、なぜこれをやるのか不倫調査佐賀これをやる意味は何かと言う哲学がないということでした。
世界には食べること生きること長生きどころか今 を生きることすらすら困難ところがあります。罪もなく殺される人々がいます。その人たちとの関係の中で世の中だと思われます。生きるということには、その 人たちへの責任があるように思われます。
だからこそ戦争を起こしてはいけないと思っています。シモーヌ・ヴェイユはギリシアはトロイへの罪を忘れたことで 滅んだと言います。私の方こそ、いつも勉強させていただいております。この場を借りて、改めて御礼申し上げます。